東方を見聞して。映画と、アニメと。冒険するのだ。


なんだか、いつも、同じことしか、メグは、言語できてないと、
経験論の浅さに、自分が、いやになるんだけど。


たまたま、マルコ・ポーロという冒険家のことは、誰でもしっている名前だけど
マルコ君が、どんな人生を歩んでいきているのかは、知らない。

時代を作ってきた人たちが、どんな歩みと、病苦で死んでいる
芸術家も冒険家も、ふつうの人もいっぱいる。
その人たちは、どんな人生を歩んできているのか、
それを知ることで、今の時代で生きている、生かされている

日本って、ごっつい、楽して生きられる適当社会だし

メグは、今まで行った国ではフランス、楽ちんだった。
言語的に排他的だけど
自国のアイデンティティが守られていて、でも、感性的創造に富む
ニュアンスには、何年もいても、楽ちんだと、思った。

たぶん、そこには、色を吐く、ということが
感覚的に、言語と同じになっていたからかもしれん。

色と、言語を、無意識的に、判断しちゃうとか

大きいな。
原始的な意識は、今となっては、無意識で
時代的に、デジタル的に、遅れている国とは
ぼくらが、忘れたことで、ただ、生きているだけだ。






マルコーンポーロン


これだけは、みなさま、おもろ!の、一説。
さまざまな意味で。




「黄金の国」伝説は、奥州平泉の中尊寺金色堂についての話や
遣唐使時代の留学生の持参金および日宋貿易の日本側支払いに
金が使われていた事によって、
広く「日本は金の国」という認識が中国側にあったとも考えられる。

また、

イスラム社会にはやはり黄金の国を指す

「ワクワク伝説」があり、

これも倭国「Wa-quo」が元にあると思われ、

マルコ・ポーロの黄金の国はこれら中国やイスラムが

っていた
日本に対する幻想の影響を受けたと考えられる。












もう、止まっている
ように、羽ばたきたいように
四角い箱のなかで、じたばたしてることに
本能的な、欲望を泳がせて

言論にして
意味規定なんて、もう、古すぎているのに
ロジカルを、やろうとすれば、次なるトレンドで
それをもメディアの分かって欲しい!
と、同じように、日本においてのロジカルも
わかってほしい!とか、これだけは、しっととけ!とか

もう、詩も、だだ漏れで

もう、現世利益
いま、おのれ、おのれが、死とあいたするなら
より、有効な、発声が

まずは、色からか。



















カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 10:03 | comments(0) | - | -
発芽、というものの不思議。種の不思議。胎生とは。

 
ここのところアボカドを食している。
アボカドといえば、サラリーマン時代にメキシコのアボカドの販促をやって
その時に、キャンペーンソングを音屋の友達に協力してもらい作ったり
料理研究家さんとレシピを作ったりもして
アボカド料理をいや!ってぐらい食べたので、それ以来、あまり食べていなかった。

スーパーに行っても肉コーナーに足が向かない野菜好きは
脂質摂取はアボカドにいってしまうなぁ。と、思う昨今。



前にアボカドを食べた後に、お庭に種を植えたら、1年以上経ってやっと、芽がでた。
そして、父上から、種は休眠しないと、芽がでない。
という話を聞いていたので、果肉からむきだした種は、いや、果肉が朽ちた後の種も
いつ、発芽するんだろ!???と、興味津々。

いやはや、農学部に行きたかった、、、無知すぎるな。

発芽のことを調べれば調べるほど、生きるとか芽吹く
それは、人間の受精においても、温度とか、酸性とかアルカリ性やら
あるんだろうな、、、と、もっともっと学びたくなる。

ほんとに、種というものは不思議だ。

アボカドでいえば、殻が固い種子は、殻が腐敗しないと発芽しにくい。
だから、アボカドを育てるんだったら、水につけたほうがいいし、
果実を食べた鳥がフンで、落とした種子のほうが、発芽率が高いというのも興味深い。

地球上に、植物が生まれてから、どんどん野生種は減っており
人類が誕生してから、人々は知恵と偶然により、
野生種と野生種を掛け合わせて、新しい「種」を生み出してきている。

なんだか、減数分裂が、存在している時点で、
「種」というものが、減っていくのは予感されているようでもある。
生命の不思議。










とりとめもなく、とりあえず、行動しては、すぎていき
寝て、起きて、息を絶えず
夏になれば、蚊を殺し
蟻が進入してくれば、プツっと、手で押しひねり

なにかの生き物を殺しながら生きて
もうそれは、人間が、万物の王のように
科学の力を行使して、もう負けるものなどないように

生きるために、化学を使って
無理矢理にでも、植物を発芽させ
食うものを作るために、遺伝子もいじる

この、いじらしい、人間の所作を、どう解釈しようか

その一方で、精神が病むひとも増えているらしい
責任をとらなくてもいいという処方箋に、免罪符を自分自身に与えるように

宇宙の不思議も、世界の悲しみにも、まだ出会ってないのに
ひとり、ひとりぽっちで
耳をふさぎ、手をひっこめて、足は斬り
口は、鴛で
鼻だけは、ほしいようだ

脳みそにつながっていたい欲望だけは、あるようだね

すがるものを欲しがるものの姿は
あまりにも、悲しみにも似て
人間らしく、また、非人間でもあったり















カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 10:12 | comments(2) | - | -
ジャン-ピエール・デュピュイの破局論


現代フランスの思想家、ジャン-ピエール・デュピュイの

『ありえないことが現実になるとき ー賢明な破局論にむけて』
に興味津々。ちと高い。2800円。

デュピュイは、「ツナミの小形而上学」でも、多くの未来の破局が
リスク計算社会から来ていることを説いているが、本書では・・・・・



人類の生存を脅かす破局(カタストロフ)に備える新たな思想を、
破局を超越者の定めとみなす終末論や、管理の強化によって防止できるとする
技術主義的楽観論よりはるかに精緻に論じている。

回避可能な「リスク」と不可能な「破局」の差異を強調し、道具的合理性と経済的論理を
優先する産業社会が生態系の深刻な破壊に直面して、
現実的対策を科学的検証に優先させる「予防原則」を導入しつつ
「リスク管理社会」による延命を図っていることを批判
する。

なぜなら、現在進行中の人類の危機はもはや「計算可能な」リスクではなくて
「未来に起こるものとして書き込まれた」破局なのであり、
著者は過去から未来へといたる樹形図状の歴史的時間に対して、
過去と未来が互いに決定しあうループ状の「投企の時間」を提案する。



「リスク計算」にまつわる一切をデュピュイは、狡知と呼んでいる。

リスク計算社会は、自分たち全員が近い未来に犠牲者になるかもしれない!と
煽り、生活者の幻想を駆使しまくる狡知=ずるがしこい知恵である。

そして、デュピュイは
人類の継続的歩みを、予告された破局という「自己破壊」を否定する企てとして
とらえ直すことが必要という。
賢明な破局論につながっていくために・・・・・


そんな
本日のBGMは 
DOLLAR BRAND DUO [GOOD NEWS FROM AFRICA]







そこらで、一個の石ころ以下で
風にあてられれば、ほほになり
においによえば、くちびるになる
軌道もなく生命のみずをたゆたう
かなりのろくでなし

木々の上空にあそぶ
よく歌う小鳥に例えることすら
この時代は、もとめていない

そして、時と刃とする
歪な我が身


カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 20:31 | comments(0) | - | -
アメリカ人伝道師を無神論者に改宗させちゃったアマゾンの『ピダハン』

 
日経新聞の日曜日版の「読書」のコーナーが、ささやかな楽しみの一つでもある。
昨日の記事で、おお!と思ったのは

『ピダハン』 (みすず書房・ダニエルLエヴェレット)。



ピダハンとは、アマゾンの奥地・マイシ川の沿岸400キロほどの地域で暮らす
300人ほどの人々だ。
と書くと、アマゾンのヤノマミ族を思い出すな(←リンク)

アメリカ人伝道師である著者が、ピダハン語訳聖書作成の使命を帯び
言語学、人類学の理論武装し、一家総出で現地に赴くが
ピダハンの言葉を習得するにつれて、言語学の定説だけではなく、
自身の価値観も揺らぎだすのだ。

ピダハンの言語は、従属節、数詞、色や複雑な家族関係を示す言葉、
左右を表す言葉など存在しないものが多い。
狩猟採集民として満たされた生活を送り、創造神話など架空の物語にも関心はなく、
自分が経験したもののみを語るという。
過剰な儀式もなく、来世の観念ももちろんないから死者の埋葬も実に簡素。
誰も会ったことのないキリストの言葉も信じない。
彼らに神は必要ないのである。

彼らには「心配する」にあたるような概念はないらしい。
著者が、彼らを「回心」させるため、継母に自殺されたという自分のつらい経験と、
それを契機に神の素晴らしさに目覚めた、という渾身の信仰告白をしてみせたところ、
彼らに爆笑されてしまい、「自分を殺したのか?ハハハ。愚かだな。
ピダハンは自分で自分を殺したりしない」と言われてしまったという。


そして、著者=キリスト教伝道者は、
ピダハンと生活を重ねていくにつれ
布教にきたのに、無神論者になってしまったのだ!

おもしろい!


信じるということは、信じたい気持ちがあるから、信じるわけで
なにも信じる必要がければ、
つまり、求める心を肥大化しなければ
神も必要ないわけだ。





銀色の満月が近づく
そく、そく、そく
白亜の情緒の終焉に漆黒の死が群がり
この艶めかしい激しさが
不思議な悶えとなり

とある人をも、生かしていく
夜波に、ちっぽけな残骸を浸していけば
淋しい人格と、悦なる人格がまぐわって
おそれ、みよ

オーソレミヨ

不自然に動いてしまう心臓が
なにか歌ってくるので
そのリズムに精神をあわせることに
そう、そう、する
銀の、満月





カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 18:28 | comments(0) | - | -
ポポル・ヴーとラモンテ・ヤング。でも、血潮感度ポッセで、ダラーブランドに戻る。

 
最近のちまたのニュースにまみえると

ふくれあがった自尊心(根拠無し)と、

他者(しかも範疇狭い)と比較する劣等感。

ってのが、根底にあんかね。と、思ったりしておる。大日本帝国。他国でも同じだろかな。

結果だけで、井戸端会議をして、その過程まで、心底ダイブすることもなく。
それも、昔から。
人というものは、とかく反応ポイントを見つけたいもんだったりする。

なぜなら、生命を形成する心臓の鼓動、血、肉、細胞あれこれくんは
反応により、成り立っておるからだろうかもしれん。

そんなことらが、サワリ、と、皮膚をくすぐることもありありで
メグが25歳ぐらいのとき広告代理店でプランナーをしていたときの先輩から教えてもらった
良質の音でも。

現代音楽とは、そもそも太古の血潮をひきつぎ、
流される生き方をして、血のにおい、みえぬアレやら、いろいろなもんを
健忘している、我々に、取り戻せ!と、ゆるやかに言っているようにも思える


でも、 ポポル・ヴーが、やわらかいのは
そんだけ幸せじみた痴呆な食うにこまらない国で、創っておるからだろうな。





The Orbのアレックスパターソンがリスペクトしているのが70年代初期の2作。
“Ich Mache Einen Spiegel”と“In den Gärten Pharaos”はこう聴こえて、
実はムーグ使いまくり。演奏風景はこんな感じですね。
クラウスキンスキー主演のノスフェラトゥなんかもええねえ。(先輩談)


ポッセについては、幾度も書いたが
底辺からの激烈する破裂心象が、もたらす新たなるリズムや音は
宗教音よりも、破裂な音であり、そんだけ、心の底からを表出してしまう。

動物が、とてつもない感情をも持っていると思うけど
それらを「音」とすれば、それこそ、「ポッセ」だ。
怒る音、悲しむ音、それらの時の、ウロコや、毛やらの音を聞き取ると
興味深いベースラインを刻んでいるのかもしれない。


ラモンテ・ヤングも、くっつきぼうし。





ほんまのチビッコから経験してきたポッセを音にしている
ダラーブランドの good news from africa  に、戻る。
10代から聴いている音だ。















たくさんのひとが死んだ
病気がいっぱいで、ウイルスなんていうもののようで
どうにも手だてはない
とうさんも、かあさんも、そいつにやれた

おなかがすくけど、たべるものが、ない

ぼくも虫みたいに、どこかへ飛んでいけたら
お薬ひとつ、運べるかもしれない
どこまででも、飛べる気がする

おなかが、すいた。

おなかがすくけど、とうさんも、かあさんも、食べることもできないし
くさっぱみたいに、枯れていく

ぼくも、そんなように、枯れていくんだろう

ぼくも、虫みたいに、どこかに飛んでいけたら
おおきいこえで、さけびたい
おおきな羽で、どこかに飛んでいけたら

ひとしずくでもいいから、甘い蜜を









カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 13:23 | comments(0) | - | -
経済理論ではなく、詩的言語としての、、、致命的な思いあがり。

 
ハイエク全集の中にある 「致命的な思いあがり」  から、タイトルを付ける。

創りびとは、常に、自分自身が、思い上がりを、しているかもしれないことに
静かに、自分ひとりで、翻る必要がある。
そう感じていること、直観の否定も含めて。

なんで、と、他者を問うのではなく、自身を問う。
自身と問うとは、両親の記憶を問うことでもあり、血潮がどこからかなのか、とか
もう死んだひとたちの流れを、年寄りから知ることもできる。



メグは、母上を尊敬しているし、母上は海外足跡は、メグよか制覇している。
なので、海外の常識の話は、ああ、そうか。でも、いやいや。みたいな感度で、
納得と、いやいや!ってのが、あるし、
でも、自分が、その地に行ってないから、言えないこともある。

感じるけど、脳裏に翻すと、いや、言えない。

と、書きつつ、旅行と仕事の違い(辺鄙な海外において)とか
ぐるぐる


言葉は、嘘くさい。
愛は、永遠で。
ダチも、永遠で。

ノリは、トレンドで。
トレンドは、いつもながらの歴史で。

そんなこと、生きるということ、家族がいて、養うこということ。

それらは、奇天烈第百科に、近しいほどに、
超・個人的であり、    惰性で生きている人は、なんとか人の役に立とうと
(限られた人生の中で納得している生き方をしてない人)

託す。


日本において、そんな余裕あるんだったら、ちこっりと、日経新聞読めとかいわないが



なんか、ばりごり、お金を億単位で、ゲットしているのに
いやはや、これは兆単位まで、やりたいのよ。

とか、そんな組織の方向性決定けんじゃには

ナメクジのように。



もっと、まるい地球全方位では、もっと、足りないことへ。


いつも、ぼくらは、欠損していて
埋めたければ、その皮膚と体毛を、切って、ふぁんfひんぐ




カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 03:18 | comments(0) | - | -
アフリカ農業。前知識を注入するが、「肌」には、遠く。

 
その土地に行き、生活し、触って、お喋りして、学ばないと
「感じる」ことなんて、できない。

直に生々しさに体温を交わすことなく、入れることのできる情報は
「感知の産毛」を触ったような気になるし、ほんとうに触れているかもしれないけれど
「知見」に過ぎず、それだと、作り続けるための「直観」は、もたされにくい。

生きるってことは、青くささや、血生ぐささやら、体液やら
粘着するにおいや、色味が、根底に付着している。
そこで、関わらないと、自分のこととして、きちんと出来ていると思う意見も自信がない。

んなことをも思いつつ、アフリカの農業のことについて調べるの巻。
欲しい本が、なんでか、全部5000円以上なので、図書館で!の予定だけど
新しい本なので、あるかどうか。。。。ぶひー。





極論として、乱暴な言い方をすれば、世界の人口が多すぎるのが問題なんだけど。
だからといって、死ね!とか、産むな!ってのは、倫理的に、しがたい。
加えて、社会的欲求よりも、超個人的動物的欲求=刹那的欲望が先走る
国もしくは個人文化であるところは、性欲のみが花咲ける快楽であったりするので。むむむ。

日本でも、娯楽がない県の大学の同棲率が高かったりする。
遊ぶもんがないから、セックスしとこ。みたいな、安直だけど、
安きに走れる人間的だ。動物なら食わないといけんので、狩りに、多忙である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在、地球上のすべての人に提供できるだけの食糧が生産されているが、
それでも10億人が飢えている。
世界の食糧流通システムに欠陥があるからだ。
しかも、需要は増大し続けている。現状で、人口増大分の需要を満たすとともに、
食糧を手にできず、空腹に苦しむ人々に食糧を行き渡らせるには、
世界の食糧生産を70〜100%増やす必要がある。
果たして食糧生産の拡大、流通の改善は世界のどこで可能なのか。
その答えは、これまで世界からの食糧支援に依存してきたアフリカだ。
事実、農業生産に残された最後のフロンティアとして、アフリカに大きな注目が集まっている。
これからの数十年間に世界の食糧生産を大幅に増やし、貧困国の飢えを削減しつつ、
新興国の需要の高まりを満たしていくための鍵を握るのが、アフリカでの緑の革命だ。

・・・・・・・The Fertile Continent― Africa, Agriculture's Final Frontier
(邦題:アフリカの農業革命が世界の食糧危機を救う)より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

緑の革命の前に、土壌の革命が必要なんではないかとか、
水は、どうなっているのか、とか、現場にいかんとわからんことが、たくさんなのであるので
悶々としている(知見だけなので)。。。。。   んが




勉強しとかんとあかんことも、いっぱい。
いつも、いっぱいだな。

世界は、知らないことだらけだし、変化していく。


ポルトガル語の勉強も、全然してない。。。
ドラえもん、暗記パン、ちょうだい!モードだ。







動かないと不安になる
草が、そよいでないと、空はグレーになる
風が吹いてないと、音楽が聞こえない

影が長いと、自慢したくなる
夕暮れ、斜めは、よく世界の様相を物語る
チビッコでもわかるように、童話のように

聞き耳をたてないと、動かなくなる
木霊しないと、静かになる

ジャックナイフも空気を切らなければ
錆びていく












カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 01:48 | comments(0) | - | -
エゴン・シーレとスペイン風邪からの、『銃・病原菌・鉄』文庫本注文。

 
午後からチャポ作品の2月に素焼きしたもの45点ほどにヤスリをかけてのだが
マスクを中途半端にしていたからか粉塵が鼻から入ったらしく、水鼻が止まらないぃぃぃぃ。
チャポアレルギーや!涙

母上のオーストリア土産のエゴンシーレの絵はがきでお手紙を書くの夜。

エゴンシーレは、1918年に28歳という若さで、当時流行っていたスペイン風邪により夭折。。。
青春・感受・若人ならではの、虚ろさと炎のような魂が魅力的な画家です。
性や死など、当時タブー視されていたテーマも存分に取り入れてスパークしている。
それ以前に、デッサン力が、ぴかいち光る。

メグが一番お気にいりなのは、エゴン・シーレの自画像「fighter」



永遠の子供、であり、魂の裸像を描く魔術師でもあった、エゴン・シーレ。

もしもジー様になっていたら、どんなジー様スパークで魅せてくれていたのか。。。むむ。


スペイン風邪が流行ったのは、たった100年ほど前。
感染者6億人、死者は4千から5千万人(諸説あり)というパンデミックです。

と、書いていて、『銃・病原菌・鉄』という本があったことを思い出し、

調べてみると、なんとこの良書が2月に文庫本にやっとなっているじゃないか!
速効注文!したぞい。何度も読み返すだろう本。携帯便利な文庫本!




本書で書いてある病原菌のところで興味深いのは・・・・・・

人間に感染する病原菌(ウイルス)というものは、家畜から人間に感染して、
人間向けに進化してできたものであり、ユーラシア大陸では家畜がたくさんあったので、
病原菌(ウイルス)がたくさんあって、人々は免疫を獲得した。
一方、南北アメリカでは家畜がほとんどなかったので、病原菌(ウイルス)がもともとなく、
人々は免疫を獲得しなかった。家畜の有無が根本的な違いをもたらした。
また、人口密度の違いも影響した。
農耕民族は、人口密度が高く、病原菌(ウイルス)が繁殖できた。
狩猟民族は、人口密度が低く、病原菌(ウイルス)が繁殖する条件を満たさず、
結局、農耕や畜産の違いが、病原菌(ウイルス)の有無という違いをもたらし、
さらに免疫力の有無という違いをもたらした
。。。。。。とか。


読みたくなるでしょー。ニシシ





欠落を羽にしない、欠落
脱皮しない、朽ちる肉

モノや骨に守れているだけで
生命や、紡ぐことや、かけがえない未来が
虫喰いされているね
もっと、宙空はジャンキードンキーな
おおらかで、ゆるやかで
すべてが、すべてと全体になっているはずだから

言葉のまえに、よく響くこころを楽器に
宇宙ひとつの音成で、いろはにほへと
ちりゆかん




カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 01:18 | comments(0) | - | -
「信念・東浦奈良男〜1万日連続登山への挑戦」キターーーーーーっ

 
予約注文していた本が届き、一気に読了!
ちびっ子から老人まで、たっくさんの人に読んでいただきたい一冊です。
何度も紹介している、奈良尾ジーさまの人生の足跡。
ぐんぐん引きつけらること、間違いなし!


「信念・東浦奈良男〜1万日連続登山への挑戦」

ソウルライターの吉田智彦さん著。



奈良男ジー様の40冊を超える登山日記からの引用もあり、
山一筋でシャイな奈良男ジー様の、日記だから吐露している人間くさい部分やら
一歩一歩を大地にぐいっと踏みしめることの継続から生まれた
独自の哲学など、もう、メグのジーちゃんちゃうか!?と思うぐらいに近しく感じられる
もりもりの内容です。


奈良男ジー様の、日記。

印刷会社を退職してから、27年にわたる毎日登山の第一声。

以後の出勤先は、山となる。


その日記の頁に貼られているタグは

自由」。。。。


下の写真
左上>ビニールシートを貼って完全防水した菅笠。
「山、岳、峯、嶺、嶽」の言葉が書かれている。
右上>物干しハンガーとレジャーシートを組み合わせたザック。
中にはカッパのみ。食料も水ももたない。
右下>カスタマイズされたサンバイザー。
雨のときはビニールシートをひょいとかぶります。
左下>足を締め付けられるのを極度に嫌い、スニーカーはざくざくカット。




奈良男ジー様は、1984年、59歳から毎日登山を開始し、
去年の12月6日に86歳で永眠された。。。
その年の6月25日に、連続記録9738日で極度の衰弱により登山を断念している。

この本は、奈良男ジー様が亡くなるときまで追っていて
精神、情熱、老い、夫婦、、、、等、人生を経ていくことで変わるもの、変わらないものが
ジー様の確かな姿、歩みとともに書かれている。

ひたむきなることの強さ、人間くさい寂しさや期待や愛情。
人生とは。と、胸がギュウとなるとともに、己の身にもどして考えたくなる一冊だす。

ぜひとも、読んでみてちょ!!!ほんま、おすすめの一冊だ。



奈良男ジー様のことを知ってくれる人が一人でも増えることで
あの世のジー様が、須弥山や九山八海を、力づよくわくわくと登ってもらえることを願って!
(ジー様はなんてったって、九、という数字が好きだったんだから!)




今回は、連続登山をはじめて8年経ち、68歳にして
死ぬこともないかもしれん!というぐらい
疲れ知らずな体力と精神力をもつに到ったときの奈良男ジー様の日記の抜粋をば!


これを読むと、さらに、奈良男ジー様のこと知りたくなると思われるぞい!ニシシ


1990年11月14日 の日記より


力は外にあり体内にあらずと、なぜ、言わんのだろう。
力を抜く、無駄な力、余分な力は使わないと武道家はいうが、
もともと力は小さな人間にあらあすか。
力はないのである。
力は外にあったのだ。
これを利用、つまり吸うか吸わない、吸わなかったの違いや。
吸えば宇宙力が、宇宙力そのものとなる。
そこまでひょっとしたら考え及ばなかったのかな。
とすると、わしが古今を通じて初めて発見したのとちゃうか。一流の創始者かもしれん。

もともと、力は内になく、外にあったとは、ああこりゃこりゃ。
生命も又、無内有外。死も又、無内有外。
万物かくの如しやろ。
わしというもの、東浦奈良男も、もともとないもの、無内有外。
有外流は、どや。無内流。
無心、無我、空というのも同じことやが、表現文句の違いだけやが、
力はないと言い切った古人今人は読書歴50年の中にゼロやったと思う。

吸石流もいい。
大岩を持ち上げる時の吸力、大気力が発見。いや、これもないものか。
いやあ、発見もないものや。発見も外にある。
とすると大気流、わしは内になく、わしは外にいた。外がみな、わしである。
みんな外にいるのや。
この辺に、武道の極意、人生の極意がひそんでいるな。
すべてかわし、すべてあてる。
やられるか、やるか。やられるとは、恐れである。
やるとは勇気、吸気、やられずに、やる。これが武の本質やろ。
やられないには、やるものがなければならん。
やるものとは勝負もないもの。外にあるものや。
やるも外に、外をどうするかや。外の工夫。外の使い方一つか。吸い方一つか。
吸い方。口及。万事有外。早明、遅暗。早澄、遅濁。




カテゴリ:学問巡礼レイヴ | 20:25 | comments(6) | - | -
海人族の刺青の文様と、滑稽画


宗像(胸に型があるから宗像、宗像大社=古くから海の神)などの

海人族がどんな刺青をしていたのか

ずっと知りたいことだったんだけど、興味深い記事を発見!


「人間の歴史2・第二章「祖先の生きた姿」安岡徳太郎 1952年 より


魏志倭人伝には「男子は身分を問わずすべて顔にイレズミをし、からだを模様で飾っている」とあり、倭の水人は「からだにイレズミをして、体魚や水禽をいやがらす」とあるが、
南シナのトウンオー族やミンユエ族の漁師たちは紀元前138年ごろに、
すでにからだに龍のイレズミをしていたという。
これはサメやフカに対する、一種の保護色である。


【写真右・カロリン群島の漁師】
日本のイレズミの本当の祖形。南方族はからだ一面にイレズミをするが、
顔や手足の先にはいれない。一方、寒いため裸にならない北方ツングース族は
外に見える顔と腕にだけイレズミをいれた。

これがまさに、宗像の海人族に近いんじゃないか??と思うんだが。。。


【写真左・明治中期の職人のイレズミ】


古代日本ではイレズミのことを、マサキといったが、
マサキはアフリカのマダガスカル島を含めた竹べら圏のイレズミを表す、
masak(マサキ)と同じ。


前のブログにも書いた明治時代の医者ベルツが観察したことに
イレズミの模様はいろいろであるが、いちばん多いのは、大きな龍、虎、合戦、
美人、歴史上の事件、花、あるいは滑稽画である。
この滑稽画のなかには、日本人の国民的ユーモアの創作が
じつにすばらしい形で示されている。
わたくしは、いちども、ワイセツなイレズミを見たことがない



滑稽画=狂画 



歌川国芳の寄せ絵みたいなのを刺青にしたのかな??????むむむむ。。。。







たくさんの過ちに気づくまえの
ぼくらは、ブルーベリーパイもしくはレモンスカッシュ
舌に酸っぱい苦みを味わっていても

まだ深い霧もやの漆黒寸前ではなく
まだ、いまが誤りで
衰えるより産出のさなかで

さなぎから蝶へ
花粉も、鱗粉もまき散らして

曼荼羅の色彩をふりまえたあとで
あとで、あとで
遠き眼差しに
骨髄の奧まで、碧になり、闇になり
灰になり、
完璧なる無になり








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