冬季オリンピックをちゃんと見たことがなかったんだけど
雪や、氷を使った競技に、見知らぬもの、ひとつの競技でもジャンルが多いこと
知らないことが、もりだくさん。
遅寝・早起きで、アスリートの情熱を、むんむんと感じている。
そんなこんな本日、オフィスで、いつも見ている
『日経ビジネスオンライン』にある、政治・社会のカテゴリーの
『アニメから見る時代の欲望』
に、ほうほう、と、読みいった。
ここ、リンク
コラムがいくつもあるんだけど、そのひとつを取り上げてあだこだ言いたいとは思わない。
創り手というのは、痛みをひきうけたうえで、冷たく暗く瀟洒な湖の奥底までもぐってしまって
どうしようもなく、もぐってしまって、
湖底にある、それが水草なのか、何十年も前に捨てられたオモチャなのか
ピチピチとした魚なのか、、、、、湖底にある、何らかの確かなものを掴んで
浮上するもんやよな〜。と、当たり前に思っていることを、チクっとした痛感で、再度
この身にとりもどしてもみる。
世界を、どのように見るのか。
(それが、世界を、すべて知ってはいないこの身において)
これは、とっても、大切で、
それは、グーグルアースで、ちいさな宇宙が映し出されてどんどん
地球に近づき、検索地点に近づいていくような風情に似ている。
いわゆる、鳥瞰。
そして、グーグルアースで、検索した地点に、ぐいーんと、近づいて
目的地という、アイデンティティが、間近になる。
近視眼的に、なっていく。
正確には、目的地の、アイデンティティが、変化していく。
認識している世界の大きさが違うと、重要に思考しているファクターの
アイデンティティも、変化する。
自己、自我、っておもっているものの意識の、大きさが、変わるから。
その、どちらも。俯瞰(鳥瞰)と、近視眼を、どっちも、
この我に、在ることが、中庸というものを成せるもんなんだろ。
その振り幅が、大きいほど、人生は、苦しく愛らしく、たまらないほど、滑稽で
愛に満ちてしまっちゃうようにも、思う。
とにも、かくにも、狭い世界で、自分が世界を知っている気になるのは
安楽かもしれないし、一方で、気の毒でもありますな。
●
だれからも見つめられずに告白する
宇宙の言葉で
螺旋の波が、押し寄せてくる
やさしくって、ママンの抱擁のようだけど
それは、未知へ向かう鉄拳パンチ
細胞の数以上に
見てとれる星くずの数以上に
いま、分裂していく絵空事ではない
ただいまの、瞬間、の、事実
そのために、成長した
手指を、ひろげ、皮膜で空気を飲み込む
使ってない器官に、ノックする
居眠りしていた細胞が
さざめきだし、ぼくに、ささやく
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